昨日こんな記事を見つけた。
不登校、いじめとも過去最多 コロナ影響か 文科省、21年度調査
毎年毎年増え続ける不登校といじめ。
コロナ影響かって、コロナはもう3年も前からあって、今更それだけが理由とは思い難いけどね。
そりゃ、働き方が変わって、家で仕事をする人が増えた。当然そうなれば家の中のしくみが変わる。家族の関係性が変わる。
学校も、できることできないことがはっきりと分かれた。黙食やイベントの中止、クラスメイトとの物理的な距離感の開き。
子ども達の心に何が足りなくなっちゃったのかな。
むしろ、大人たちの心に余裕が無くなっちゃって、子どもは居場所や逃げる場所を失いつつあるんじゃないのかな。
毎年『不登校数過去最高』って記事になっても、国を挙げての子どもへの配慮って大して変わってないよね。今、いろいろな事情で困っている子どもたちは、近い将来のこの国の担い手なのに、子ども達の作る未来よりも今現在の刹那的なことにしか目が行ってないみたい。
学校の改革、教育の見直し、新しいアプローチ、受け皿、やらないといけないことはたくさんありそうなんだけど。もちろん、新しいことに着手するときは失敗もたくさんあるだろうけど、今はもうそんなこと恐れている場合じゃないんじゃないかなぁ…
子どもが学校に行けない、人と関わり合えない。本当は行きたいし、関わりたいと思いつつ、なぜかそれが恐ろしくてできないそんな状況に陥ってるのに、サポートの手が薄いこと…
いつまでたっても学歴が物を言い、政治家は自分が大事で、古い体制から抜け出せない日本。
我が子たちが苦しんで、学校を恐れ、次に外界を恐れるようになって、希望を失っていくのを見ていると、何がこんなにも子どもの心を蝕むんだろうと不思議に思う。エネルギーが回復するまで見守ろうと思うけれど、日本の社会はそれをなかなか許してくれない。
空気を読み、人とうまく渡り合い、学歴は高く、良い会社に入り、よく働き、出世して沢山税金を納める。日本人の理想像なんじゃない?そこまで行かなくても、順調に義務教育を終え、高校に入り、学校は大学まで出て、独り立ちして働き、結婚して子を設ける。それがいわゆる『普通』。その路線から外れたら落ちこぼれ。
でも実際は、発達障害が義務教育の中で大きな課題になっていたり、不登校者数が年々増えていたりして、そんな『普通』すら理想像になってきていたりしないかな?私は一つの理想像を、すがるように崇拝する必要はないと思うんだけどね…。
どうしたら生きていきやすいのか。
その人にあった働き方とはどんなものなのか。
そのためにはどんなシステムが必要で、今足りていないものは何なのか。
一人一人の力じゃ世の中を動かすなんてできないかもしれないけど、同じように悩んで、子どもの未来を案じる人たち同士なら、小さくても少しずつ変えていけるものがあるんじゃないかなって私は思うんだよね。
それがすごく私的な『わが子のため』っていう気持ちからでも、『わが子の後に続く、しんどい子たちのため』でもいい。もっと子ども達に適した『生きる力』を養える場所づくり、したくありませんか?
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