子ども達の様子を見ていて、「あれ?」っと感じることがあったら、「何かあった?」って訊く人は多いと思う。それは家庭だったり、園や学校だったりしても、大人は尋ねるんじゃないかなぁ?
そこには子どもなりの理由はあって、はっきりと悩んでいることを自覚している子どももいれば、うちの娘たちみたいに「???」って、悩んでいること自体に気が付いていない子たちもいたりするよね。
我が子に言及するならば、明らかに遊び相手がいなくて、寂しくて、孤独で、身の置き所もないほど挙動不審になっているのに、「別に…」って答えてみたり。
慣れない勉強習慣にストレスが溜まってきて、腹痛や嘔吐までしていて、学校に通うことすら困難な状態になってるのに、
「調子悪いみたいなんだよね~。」
なんてのん気なことを言っている。学校に行かなくていい、勉強しなくていいってなったら元気いっぱいになっている自分に気が付いてないんだろうかと、親から見ていると心配になるんだけどね。
体の不調と心の不調の区別がつかない。
自分の変化に気が付かない。
そうしたら当たり前だけど、「どうかしたの?」とか「何かあった?」の問いかけに答えることなんてできないんだよね。
そういう子には、近くにいる大人が、じっくりとその子のことを観察し続けるしか、問題点を発見するすべがない。理由は混在していて、複雑に絡まっていたりする場合もある。シンプルだったらいいんだけどね…大抵はシンプルな理由ではないんだなぁ…
我が子はいつでも複雑にストレスを溜め、自分で理由も分からず、落ち込んだり、体調を崩したりしていて、私はいつもそれに振り回されている(笑)もういい加減振り回されないようにならないとなって思うんだけど、これがなかなか難しい。
そして、こういう時にできることって案外親には多くないんだなって実感する。
できることは、信じて待つこと、見守ること、焦らせないこと。
それから、困ってて、落ち込んだり、自分って駄目なんだって感じてても、そういうあなたも大事だよって伝えること。
タイミングと忍耐力を常に鍛えられている感じがします(笑)子育てって親の修業の場なのかもしれない。
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