支援級、入る?入らない?

まず、この記事を読んでいただきたい。

『大阪の「ともに学ぶ教育」が変わる? 「特別支援学級で半分以上の授業を」文科省の通知が波紋 分断危ぶむ声も』

https://www.asahi.com/edua/article/14678752

豊中市は大阪府の中でも、現学級の中に支援級の子たちがずっと在籍して授業をするスタイルを貫いてきた。取り出しはあまりやっていない。

豊中市には40年のインクルーシブの歴史があるといわれるが、それはあくまでも重度の身体や知的の子たちも一緒に公立に通えて当たり前っていう文化だと私は思ってる。

だって、今の豊中市のインクルーシブ(私に言わせたら、なんちゃってインクルーシブだ。全然共存ではない。)は、まさに今、課題とされている発達障害に関しての配慮がほぼないからだ。

発達障害は見た目からではそのしんどさは分からない。脳の機能の問題だからだ。どうしんどいのか、何がしんどいのか、当人も生まれた時からその世界で生きているからなかなか表現できない。

つまり、『当たり前』が『当たり前』ではないことを目の前で証明されているような状態になる。

特性の理解がないと、当事者も、相手も辛い思いだけが募る。家族の苦悩も深い。

一見したらどこにでもいる子ども。でも、話してみたり、遊んでみると違う。感覚も、感情も、衝動性や不安感、その他もろもろ気になる部分が出てくる。あくまでも『一見』、定型の発達を遂げているように見える。

特性が色濃い子ほど大変だろうと思われるかもしれないが、いわゆる『グレーゾーン』と言われる子たちの方が大変だろうと私は考えている。感覚が定型発達に近い分、『治るのではないか』とか、『そのうち普通になるのでは』(普通って何なんだろうね??)思われがちだからだ。だから、求められるハードルが上がる。

豊中市は支援級に入っていても、取り出しがないのでどの子が支援級に所属をしているのかは分かりにくい。だからこそ、所属している子たちもいるくらいなんだよね。いわゆる『隠れ支援級』の子。

本来、インクルーシブのかたちがしっかりしていたら、支援級なんて必要はない。困っている子にはその子がみんなと同じように作業できるように、サポートが入るだろうからだ。もっとも、他の人たちに負担がかからない程度ってくらいかもしれないけど。でも、例えば学力ごとにクラスを変えたり、少人数グループでの学習や教員の増員等、子ども達の成長にはかけようと思えばいくらだってお金はかけられる。そうやって、未来を支える人材を育成するのは当たり前のことだろう。

でも現実は違う。子どもの成長のために充てられる市の予算はそんなに多くない。毎年広報を見て「意味不明」と思う。育てる気ないんかな、と。

大事にされてるのは納税者。これから納税できるようになる可能性のある子たちではない。でも、ここを育てなかったら、将来納税者なんて増えるはずもない。こういう考え方、好きじゃないけどね。

さて。

そんな豊中市で、支援級に所属している児童の保護者は、実は取り出しを望んでいる人も多い。だって、現学級に日に数時間支援の先生が入り込んでも、身に着けられることはさほど多くない。せめて少人数で、取り出してじっくり教えてもらえたら…そう考える保護者の方は間違いなくたくさんいらっしゃるし、親の会の活動をしているとそういう意見をたくさんいただく。

でも、豊中市はそれをはねのけ続けてきた。

今、先にリンクを張った記事のように、取り出しが義務化されたらどうなるんだろう?

『隠れ支援級』の子たちは支援級への所属をしなくなるんだろうか。そうしたら、この子たちはもっとしんどい環境の中、自分がどうしてしんどいのかも分からずに生きていくことになるのかな…

そんなことをぐるぐるずっと考えちゃってます。

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